金は、人類が最初に発見した個体金属で、柔らかく展延性があり、通常では変色も錆びもしない(耐腐食性)、光沢のある金色から装飾品として利用された最古の金属といわれています。
金や銀を含んだ鉱石から、それらを抽出する方法が発見されるまでの古代の金は、自然の中で風化の結果生まれた金塊(ナゲット)や砂金として採集されました。
自然金は、10~30%前後の銀等が含まれていたので、それを取り除き純度の高い金に精製するために、塩と混ぜて火にかけて焼くことで金だけを抽出するという方法が行われました。
ここから日本の貴金属業界では、現在でも純金の板材料を【やき】と呼ぶ慣習があります。
元素記号Auの語源は、ラテン語のaurum(金)に由来しています。
世界史のなかの金
紀元前4000年前後に人類が初めて発見した金属が金といわれています。
川底に沈んだ輝く砂金を古代の人々が発見したという説がありますが、実際に古代エジプト文明では、ナイル川とその周辺流域の河川から砂金を採集していました。
採集された金は、権力と不死の象徴として加工して王の権威を示すために利用されました。
王家の墓からは、ツタンカーメンの黄金のマスク等、黄金の副葬品が発見されています。
紀元前6世紀頃にアナトリア半島(現在のトルコ)に栄えた国家リディアで世界最初の貨幣であるエレクトロン貨が造られました。
これは、自然に出来た金と銀合金(エレクトラム)に、生き物や重量を打刻した金貨でした。
大航海時代の1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見、1521年にはコルテスによるアステカの征服(メキシコ)、1532年にピサロのインカ帝国(ペルー)など新大陸への進出が続きましたが、先住の民族から黄金の財宝を略奪した歴史の側面もあります。
同じころ中世ヨーロッパにおいては、身近な物質から金を創り出そうとする錬金術も盛んになりました。
錬金術師たちの途方もない数の実験は、すべて失敗に終わりましたが、現代の化学や物理学に繋がる数多くの物質の発見やテクノロジーの発達に大きく影響を及ぼしています。
1848年には、最初のゴールドラッシュがアメリカのカリフォルニアで起こり、次に1850年オーストラリアのニューサウスウェールズ、1896年カナダのクロンダイクと続きました。金を得ようと押し寄せた人々が、更なる開拓を進め各地の開拓史を生み出しました。
日本史のなかの金
日本の記録で金が初めて登場したのは、【漢委奴国王】の金印で、中国後漢朝について書かれた後漢書(歴史書)によると、紀元57年に光武帝が倭(日本)の奴国の使節に与えたといわれています。
749年に陸奥国で砂金が採取されるようになるまで、金は大陸から輸入するものでした。
陸奥国から産出した砂金で752年に東大寺の金の大仏が作られました。
平安時代は平泉文化が花開き、1124年に藤原氏が中尊寺金色堂を建立。
この建物は、四方の壁から床に至るまで漆塗りの上から金箔を貼った総金箔貼りで仕上げられました。
その話を中国で伝え聞いたマルコ・ポーロが【東方見聞録】で紹介し【黄金の国ジパング】のモデルになったともいわれています。
1397年には、足利義満が金閣寺を建立。
その後も織田信長や豊臣秀吉、徳川幕府でも金銀は豪華絢爛たる文化を象徴する存在となりました。
豊臣、徳川時代には、全国の鉱山を統制・掌握して莫大な資産を築き上げました。
金相場10年の価格推移チャート
過去10年の金相場の推移をチャートで見ると、2008年に大きく下落してからは、4,000円台の値動きが続いています。
※【過去の価格チャート】で直近の推移をご覧いただけます。